不登校って難しい

不登校って難しい

“不登校について調べると、概ね治さなきゃいけないものみたいに扱われているなと感じます。確かにそれも正しいのかもしれません。イジメなどが原因で学校に行きたくないのならば、解決してあげたいのは当然でしょう。

ですが、不登校であった経験から考えるに、学校に行く気を一番削ぐのは、親や先生の「学校に行かせなきゃ」という態度であると思います。なんだか自分が病気扱いを受けているようで、憂鬱になります。自分が学校に行きたくないから行ってないだけなのに……。

不登校について、一般的な認識はどういうものなのでしょうか。「日本に生まれついた全ての人間は、幼少期から学校に継続して通うことに苦痛を感じない人間である」と、そういう風に考えられているのでしょうか。

学校に毎日通うことって、普通でしょうか。

ただ単純に学校に通うことが、嫌いな授業、面倒くさい行事に、自分で使える時間が奪われていくように感じる人はいないと考えられているのでしょうか。学校そのものを、イジメのように感じる子どもは存在しないと、本気で思っているのでしょうか。

そんな考え方が、世の中では甘えと言われていることを否定する気はありません。社会に出れば、時間はどんどん生活のために削ぎ落とされていきます。ですが、相手は子どもなのです。子どもの考え方が甘いのは当然ではないでしょうか。そして学校に行きたがらない子どもに、学校に行かせることだけが本当に解決手段なのでしょうか。

世の中には、単純に週5日学校に通うことに、体力が追いつかない子たちがいます。健康的には病気と呼ばれる一歩手前の、人たちがそうです。そういう子たちはみんな、学校に通うことが、いわゆる普通の子たちと比べて苦痛が大きいのです。同じ量の作業を、みんなが同じだけするというのは公平ではありえません。

そんな子たちが学校に行かないことは、「治さなければいけない」ことなのでしょうか。

自分は小学校の途中から5年間不登校をしていましたが、それだけに、学力の問題は解決できないものではないことを知っています。

子どもが学校に行かないとき、それが苦痛になるのは親でしょう。周りの子のように普通に学校に通ってくれないと、面倒な思いをするのは親でしょう。子どもが学校に行ってくれれば頭を悩ませる必要がないと考えるのは親でしょう。学校に行ってくれたら楽なのにと、そう感じるのは確かに人情です。

だからといって、子どもに学校に行かせるというのは、親の甘えではないでしょうか。最善の道を探す努力の放棄ではないでしょうか。親と子ども、苦痛に耐えるべきはどちらでしょうか。

不登校の子どもを学校に行かせたいという記事を、よく目にします。その考え方自体が子ども中心ではなく、親中心であるのだと、少しは気がついてもらいたいものです。”